2009年10月30日金曜日

大河原237

地蔵菩薩群
台石にのった地蔵菩薩(宝暦12(1762)は道標もかねている。「左成木みち 右内野みち」と読める。西南にむかえば成木、北西にすすめば小岩井、東は飯能へとつうじる三叉路の傍に立っている。

ほかの2躰はほとんど自然石に還っており、かすかな浮彫が地蔵菩薩のすがたをとどめている。。

大河原148

聖観音(元禄元年(1688))
荒れたお堂のきわに祀られている。





















地蔵菩薩
SFに登場する兵士にもみえる。





















地蔵菩薩

山手町 観音寺

六地蔵菩薩
















地蔵菩薩(享保5(1720))

2009年10月29日木曜日

岩渕529

石造群
地蔵菩薩と青面金剛などの庚申塔が行儀よくならんでいる。
富士正晴のいうように「日本古来の石信仰、石神に道教衣裳のものがくっついて住みついて道祖神、仏教衣裳のものがくっついて住みついて石地蔵」(『日本の地蔵』)になったとみれば、道教・神道的な庚申と地蔵がなかよくならんでいるのも不思議はない。
手前には道標もある。















地蔵菩薩
左は宝永7(1710)、右の首をかしげた地蔵菩薩は享保4(1719)造立。

















青面金剛(文字塔)と庚申塔
右の石像は下部に猿がかろうじてみえ、庚申塔であることがわかる。

















道標
左の道標には、「左あふめ 右な里記」と読め、右は「左飯能 右川こへ」と読める。街道の分岐点ではなく川の傍にあるところから、他所にあったものがここにまとめられたと思われる。

小岩井 宝泉寺

地蔵菩薩(享保4(1719))


大河原 八耳堂(太子堂)

八耳堂脇の石仏たち
八耳堂は街道の向かい側にある金蔵寺の仏堂で、うらてには築山と籠り堂の跡がのこっている。籠り堂には戦時中、有名人が疎開していた。その建物も台風でこわされ、いまは礎石が放置されたままになっている。
八耳堂の手前には地蔵のほか、宝篋印塔も据えられている。














六地蔵菩薩(六面幢)





















地蔵菩薩群
中央の地蔵は胸板があつく、鳩胸のがんじょうなつくり。右は安永4(1775)の造立で、道標も兼ねており、「ひだりみたけみち」「右子の権現みち」と読める。
南に滝涯山の峠道をこえれば苅生(かろう)に出、御岳へとつうじていたのだろう。
ちなみに、ここから少し西へいった大河原815にまつられていた馬頭観音には「苅生」の道標がついてたという。また、名栗川をはさんだ北の正面には多峯主山がそびえている。















八耳堂案内板
再建時期が文政3年(1802)とあるのは、文政3年がまちがいなければ1820年が正しいのでは?

2009年10月22日木曜日

小岩井 長泉寺

地蔵菩薩(享保4(1719))
この世とあの世をわけるかのように、参道の脇にたたずんでいる。
















弥勒菩薩(寛政2(1790))





















聖観音?(正徳6(1716))
顔が童顔で地蔵菩薩のようにもみえるが、錫杖をもっていないうえポーズは聖観音のよう。左手に蓮華をもっているのかどうかはっきりしないが、もともとはあったのに欠けたようにもみえるうえ頭部に化仏も付いているので聖観音とおもわれる。




















地蔵菩薩(享保9(1724))





















馬頭観音(元治元年(1864))

2009年10月20日火曜日

久須美 東光寺

7躰の観音と地蔵菩薩がおさめられている覆屋。
いまは小さな無住の寺になっているが、堂々としたすばらしい
仏たちが祀られている。

















千手観音(寛政7(1795))























十一面観音(寛政7(1795))























馬頭観音(寛政7(1795))























不空羂索観音(寛政7(1795)























准胝観音(寛政7(1795))






















聖観音(寛政7(1795))






















如意輪観音(寛政7(1795))




















地蔵菩薩(享保4(1719))
ほかのきらびやかな観音たちにまじって、地味な地蔵菩薩が同じ覆屋におさまっているのはなんとなく違和感がないとはいえない。造立が80年も早い時期だという点を除いても。























六地蔵菩薩(六面幢)
覆屋内に祀られているが、カビで像容が
はっきり見えないのが残念。
まえに置かれているのは弥勒菩薩の頭
部? 大きく凛々しい顔立ちから、さぞや
造形のすぐれた肢体をもっていたのでは
ないかと想像をかきたてられる。

永田 萬福寺

六地蔵菩薩(六面幢)
もとは民家に祀られていたが、20年ほどまえにここに祀られるようになった。
はじめ見たときには灯篭に見間違え、ご住職の奥さまに教えられてやっと六面幢であることがわかった。ユニークなかたちの六地蔵。















地蔵菩薩(宝暦2(1752))

永田193

地蔵菩薩
関東ではめずらしい白塗りの化粧地蔵。他所の地蔵菩薩とは一味かわったふんいきをかもしている。

永田541

馬頭観音(文化3(1806))

飯能 西傳寺

地蔵菩薩(むかって右:延享2(1745)、左:安永元年(1772))
右は県道をはさんだ向かい側から30年ほどまえに移設されたという。

2009年10月17日土曜日

八幡町 廣渡寺

地蔵菩薩(享保4(1719))





















地蔵菩薩(六面幢)(寛政10(1798))
六面には金剛寶地蔵、金剛願地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵などの地蔵名が彫られている。蓮台に小さな頭部が置かれており、このうえに地蔵が据えられていたのがこわれ、現状のようになってしまったものと推測される。このような六面幢は初見。

原町 心應寺

地蔵菩薩(明和8(1771)

中山 智観寺

門前には聖観音六地蔵菩薩(六面幢)(貞享3(1686))がなかよく並んでいる。
















聖観音(寛文8(1668))
アップの写真























大日如来



















阿弥陀如来と大日如来
阿弥陀如来(右)は宝永8(1711)、大日如来(左)は享保17(1729)造立。
















地蔵菩薩
左は正徳3(1713)、右は天明4(1784)造立。
















如意輪観音地蔵菩薩(元文4(1739))
























地蔵菩薩
右奥の宝篋印塔は安永7(1778)の造立。

双柳 稲荷神社

庚申塔(安永6(1777))

双柳 秀常寺

地蔵菩薩(享保4(1764))

地蔵菩薩(宝暦14(1764))
六地蔵菩薩(寛政10(1798))

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