地蔵菩薩群
台石にのった地蔵菩薩(宝暦12(1762)は道標もかねている。「左成木みち 右内野みち」と読める。西南にむかえば成木、北西にすすめば小岩井、東は飯能へとつうじる三叉路の傍に立っている。
ほかの2躰はほとんど自然石に還っており、かすかな浮彫が地蔵菩薩のすがたをとどめている。。
2009年10月30日金曜日
2009年10月29日木曜日
岩渕529
石造群
地蔵菩薩と青面金剛などの庚申塔が行儀よくならんでいる。
富士正晴のいうように「日本古来の石信仰、石神に道教衣裳のものがくっついて住みついて道祖神、仏教衣裳のものがくっついて住みついて石地蔵」(『日本の地蔵』)になったとみれば、道教・神道的な庚申と地蔵がなかよくならんでいるのも不思議はない。
手前には道標もある。
地蔵菩薩
左は宝永7(1710)、右の首をかしげた地蔵菩薩は享保4(1719)造立。
青面金剛(文字塔)と庚申塔
右の石像は下部に猿がかろうじてみえ、庚申塔であることがわかる。
道標
左の道標には、「左あふめ 右な里記」と読め、右は「左飯能 右川こへ」と読める。街道の分岐点ではなく川の傍にあるところから、他所にあったものがここにまとめられたと思われる。
地蔵菩薩と青面金剛などの庚申塔が行儀よくならんでいる。
富士正晴のいうように「日本古来の石信仰、石神に道教衣裳のものがくっついて住みついて道祖神、仏教衣裳のものがくっついて住みついて石地蔵」(『日本の地蔵』)になったとみれば、道教・神道的な庚申と地蔵がなかよくならんでいるのも不思議はない。
手前には道標もある。
地蔵菩薩
左は宝永7(1710)、右の首をかしげた地蔵菩薩は享保4(1719)造立。
青面金剛(文字塔)と庚申塔
右の石像は下部に猿がかろうじてみえ、庚申塔であることがわかる。
道標
左の道標には、「左あふめ 右な里記」と読め、右は「左飯能 右川こへ」と読める。街道の分岐点ではなく川の傍にあるところから、他所にあったものがここにまとめられたと思われる。
大河原 八耳堂(太子堂)
八耳堂脇の石仏たち
八耳堂は街道の向かい側にある金蔵寺の仏堂で、うらてには築山と籠り堂の跡がのこっている。籠り堂には戦時中、有名人が疎開していた。その建物も台風でこわされ、いまは礎石が放置されたままになっている。
八耳堂の手前には地蔵のほか、宝篋印塔も据えられている。
六地蔵菩薩(六面幢)
地蔵菩薩群
中央の地蔵は胸板があつく、鳩胸のがんじょうなつくり。右は安永4(1775)の造立で、道標も兼ねており、「ひだりみたけみち」「右子の権現みち」と読める。
南に滝涯山の峠道をこえれば苅生(かろう)に出、御岳へとつうじていたのだろう。
ちなみに、ここから少し西へいった大河原815にまつられていた馬頭観音には「苅生」の道標がついてたという。また、名栗川をはさんだ北の正面には多峯主山がそびえている。
八耳堂案内板
再建時期が文政3年(1802)とあるのは、文政3年がまちがいなければ1820年が正しいのでは?
八耳堂は街道の向かい側にある金蔵寺の仏堂で、うらてには築山と籠り堂の跡がのこっている。籠り堂には戦時中、有名人が疎開していた。その建物も台風でこわされ、いまは礎石が放置されたままになっている。
八耳堂の手前には地蔵のほか、宝篋印塔も据えられている。
六地蔵菩薩(六面幢)
地蔵菩薩群
中央の地蔵は胸板があつく、鳩胸のがんじょうなつくり。右は安永4(1775)の造立で、道標も兼ねており、「ひだりみたけみち」「右子の権現みち」と読める。
南に滝涯山の峠道をこえれば苅生(かろう)に出、御岳へとつうじていたのだろう。
ちなみに、ここから少し西へいった大河原815にまつられていた馬頭観音には「苅生」の道標がついてたという。また、名栗川をはさんだ北の正面には多峯主山がそびえている。
八耳堂案内板
再建時期が文政3年(1802)とあるのは、文政3年がまちがいなければ1820年が正しいのでは?
2009年10月22日木曜日
2009年10月20日火曜日
久須美 東光寺
7躰の観音と地蔵菩薩がおさめられている覆屋。
いまは小さな無住の寺になっているが、堂々としたすばらしい
仏たちが祀られている。
千手観音(寛政7(1795))
十一面観音(寛政7(1795))
馬頭観音(寛政7(1795))
不空羂索観音(寛政7(1795)
准胝観音(寛政7(1795))
聖観音(寛政7(1795))
如意輪観音(寛政7(1795))
地蔵菩薩(享保4(1719))
ほかのきらびやかな観音たちにまじって、地味な地蔵菩薩が同じ覆屋におさまっているのはなんとなく違和感がないとはいえない。造立が80年も早い時期だという点を除いても。
六地蔵菩薩(六面幢)
覆屋内に祀られているが、カビで像容が
はっきり見えないのが残念。
まえに置かれているのは弥勒菩薩の頭
部? 大きく凛々しい顔立ちから、さぞや
造形のすぐれた肢体をもっていたのでは
ないかと想像をかきたてられる。
いまは小さな無住の寺になっているが、堂々としたすばらしい
仏たちが祀られている。
千手観音(寛政7(1795))
十一面観音(寛政7(1795))
馬頭観音(寛政7(1795))
不空羂索観音(寛政7(1795)
准胝観音(寛政7(1795))
聖観音(寛政7(1795))
如意輪観音(寛政7(1795))
地蔵菩薩(享保4(1719))
ほかのきらびやかな観音たちにまじって、地味な地蔵菩薩が同じ覆屋におさまっているのはなんとなく違和感がないとはいえない。造立が80年も早い時期だという点を除いても。
六地蔵菩薩(六面幢)
覆屋内に祀られているが、カビで像容が
はっきり見えないのが残念。
まえに置かれているのは弥勒菩薩の頭
部? 大きく凛々しい顔立ちから、さぞや
造形のすぐれた肢体をもっていたのでは
ないかと想像をかきたてられる。
2009年10月17日土曜日
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