2009年12月18日金曜日

下名栗小沢 虚空蔵堂

虚空蔵堂参道
















庚申塔(延享4(1747))と地蔵菩薩(文政12(1829))

下名栗程久保 小沢峠入口

少彦名命(文久2(1862))
タカミムスビ(またはカミムスビ)の子として、「国造りの協力神・
常世の神・医薬・石・穀物霊など」多くのご利益をもたらす神だ
が、ここでははしかの神様として信仰されている。

下名栗程久保

馬頭観音(寛保元年(1741))
となりには、「南無阿弥陀仏(宝暦9)」の
文字塔も据えられている。























馬頭観音アップ
馬がマンガチックでなんとも愛嬌がある。

下名栗程久保

地蔵菩薩(享保14(1729))
上流の「へい平」に建てられていたが、大水にながされてきたという。
え(い)ぼ地蔵として信仰されている。

下名栗小沢

地蔵菩薩(天保3(1832))

下名栗論地山

馬頭観音(文化4(1807))
「ロ(ン)ゴ・チ」は一説によると「不毛の原野」
という意味があるらしいが、「r」あるいは「l」で
始まる点をかんがえると、もともとの日本とは
かけ離れた響きがする。

2009年12月17日木曜日

下名栗小沢

庚申塔
「仙元(浅間)庚申」と彫られており、
前面いっぱいに文字と装飾がほどこ
されている。

室町時代に起こった富士講の一派は、
「孝心」のたいせつなことをさかんに
唱導していた。かれらは「庚申」につう
じる「孝心」を庚申待を利用して説いて
まわった。その証として富士信者の掛
軸には「庚申大神」と書かれたものも
ある。(『庚申信仰』平野実)
その運動に教化された、小沢の庚申
講の人々が富士浅間(→仙元)を庚
申のあたまにきざみこんで塔を造立
したと推測される。「孝心」としないで
「庚申」を生かしているのは、従来の
庚申信仰の方がより強力だったこと
をしめしている。

塔はもと集会所にあったが、いまは個
人の方の庭に祀られている。

下名栗小沢

大日如来と地蔵菩薩
顔も銘も、苔でほとんど見ることができない。

赤沢 圓福寺

地蔵菩薩
参道入口に庚申塔と対になって、小さいながらも仁王のように据えられている。















境内の地蔵菩薩




原市場 石原橋バス停そば

庚申塔(享和3(1803))
山王峠から原市場の街道に出たところに祀られている。

2009年12月8日火曜日

長沢231

地蔵菩薩(安永4(1775))

長沢291

地蔵菩薩

坂元 虚空蔵峠

虚空蔵菩薩

坂石三社 東林寺

地蔵菩薩
左端:寛政8(1796)、中央の首のない地蔵は不詳、右端:享保4(1719)。

坂石 瑠璃光寺

地蔵菩薩(安永9(1780))

長沢 玉宗寺

地蔵菩薩(六面幢)

虎秀 福徳寺

地蔵菩薩
阿弥陀堂の入口に覆屋があるが、施錠され
ていて、なかの六地蔵(内4躰は文化7(18
10))は撮影できず。
阿弥陀堂内には厨子が安置されそのなかには
鉄造の阿弥陀三尊(県指定文化財)が祀られて
いる。年3回の御開帳日のみ参拝できる。

虎秀 我那神社

庚申塔

白子 長念寺

弥勒菩薩(安永2(1773))























阿弥陀如来(享保5(1720))


















地蔵菩薩(六面幢)(天明6(1786))























地蔵菩薩























見返り地蔵(元文2(1737))
個人所有の地蔵だが、通路ちかくにま
つられ多くのひとの信仰をあつめている。
子どもが地蔵菩薩にまとわりついて遊ん
でいる、ほのぼのとこころやすまる像。
水子供養の地蔵のよう。



2009年12月4日金曜日

南 子ノ権現天龍寺


十一面観音(享保16(1731))と大日如来(元禄9(1696))























十一面観音アップ
石像にしてはふくよかな表情。






















十一面観音・大日如来と読誦塔・写経塔群像
















大日如来(享保16(1731))
天台密教では釈迦如来を本尊とするのに、なぜか東密系の
大日如来が多く釈迦如来の石仏はみられない。
















大日如来(元禄11(1698))
















地蔵菩薩(文政8(1825))






















(番外)観音堂内の木造観音菩薩群
お堂のなかなので遠くからのぞくだけだったが、ひょっとして
円空仏?

南457

巡拝塔(寛政4(1792))
「諸国神社廻國供養塔」の銘がある。諸国神社を廻ったというのは、ずいぶん欲張りな供養塔ともいえるし、すべての神仏にすがりたいという切実なねがいがこめられているともいえる。上部の雲にのっているのは大日如来のようだ。

中藤下郷 バス停堂西の北

馬頭観音(文化10(1813))
頭髪が炎のように逆立っているので、いっけん不動明王かと思ったが、トレードマークの馬がしっかりと刻まれている。

2009年12月1日火曜日

仲町29-5 入子地蔵堂

入子地蔵尊(寛延3(1750))
説明板によると、徳川八代将軍吉宗のころ当地に住んでいた入子彌兵衛が大洪水で流出した官木を盗んだ廉で投獄された。ある大雨の夜見知らぬひとに導かれて、気づくと自宅まえにかえっていた。無実が判明して自由の身になった彌兵衛は、日ごろ信仰していた地蔵菩薩のおかげだと信者とともに地蔵菩薩を造立したという。
すぐ近くには薬師堂もある。





















入子薬師堂


飯能278 松葉庚申堂

庚申塔
馬頭観音のトレードマークの馬が頭についており三猿もない
ので、馬頭観音とおもわれるが・・・
庚申塔だとすると主尊が馬頭観音で、しかも坐像の庚申塔は
めずらしい。

飯能 大六天神社

大六天神社























伝畠山重忠の板碑(鎌倉時代)
大きな樫にくいこんで立っている。
二俣川(神奈川県横浜市)で北条の大軍
と戦って討死した、重忠はここを通ったの
だろうか。

 

飯能 多峯主山

石経供養塔(明和2(1765))















馬頭観音(寛政9(1797))















御嶽八幡神社説明板















御嶽八幡神社の不動明王
造立年はわからないが、比較的新しそう。





















御嶽八幡神社の前岩
説明板にあるように、前身は御嶽神社、そのまた前身は琴平宮。
そもそもは、頂上ちかくの涸れることのないといわれる雨乞いの池とこの大岩(磐座)が信仰の対象だったのだろう。

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