尾須沢鍾乳洞
これほど大規模の鍾乳洞があれば、岩をご神体とする神社や
修験の聖地やお寺ができていてもよさそうだが、今のところそ
の形跡はなさそう。『名栗の民俗』によると、コウモリ岩と呼ば
れる尾須沢鍾乳洞にニワトリを放すと、坂石町(吾野)の法光
寺の洞穴から出てきたという伝説が伝わっている。法光寺に
は弘法大師が彫ったといわれる磨崖仏もあり、頂上にはご神
体の石がまつられ、中腹には貞治3(1348)年に建立された観
音石窟もある。同様のものがこちらにもあってもよさそうだが、
聖観音だけがさびしく土に埋もれていたということになる。そし
てこのブログが参考にさせていただいている『名栗の石仏』編
者の塩野さんが昭和50年(1975)にこの聖観音を発見し、掘り
出したのだ。そのことがなかったら、いまこのように聖観音を
拝むことはできなかった。埋もれていることを推測し掘り出さ
れた塩野氏の推理力と執念に感謝かつ敬服。
鍾乳洞わきにたたずむ聖観音(寛文12 (1672))
聖観音アップ
土中から掘り出された観音は名栗最古にもかかわらず、とて
も新しくつい最近彫られたかのようにみずみずしい。願いごと
を聞きとどける「与願印」の右手が大きいのは、その大きな掌
でより多くの衆生を救うためだろう。
聖観音全身像
2010年1月26日火曜日
2010年1月21日木曜日
下名栗馬場
巡拝塔(安政4(1857))・勢至菩薩(慶應2(1866))・馬頭観音(安政4)
阿弥陀三尊の脇士としてあらわされることの多い勢至菩薩が単独で祀られている。
この勢至菩薩が造立された慶應2年といえば、翌3年には大政奉還から王政復古へと激動の時代に突き進んでいく。戦争への予兆を感じ、迷いと戦さからすくってくれるこの菩薩を造立したのだろうか。
巡拝塔アップ
彫像は右手に錫杖はもっていないが、左手にもっているのは如意宝珠と思われるので地蔵菩薩だろう。
屋根には紋章が濃やかに彫られ、下の方には「湯殿山 羽黒山 百番組」、側面には 「四国八十八ケ所」などの文字がきざまれ、出羽三山と四国霊場の巡拝塔であることがわかる。
修験道と仏教との聖地巡拝の記念と、巡拝に行けなかったひとも塔をおがめば巡拝したのとおなじ利益を得られることをねがったものだろう。
阿弥陀三尊の脇士としてあらわされることの多い勢至菩薩が単独で祀られている。
この勢至菩薩が造立された慶應2年といえば、翌3年には大政奉還から王政復古へと激動の時代に突き進んでいく。戦争への予兆を感じ、迷いと戦さからすくってくれるこの菩薩を造立したのだろうか。
巡拝塔アップ
彫像は右手に錫杖はもっていないが、左手にもっているのは如意宝珠と思われるので地蔵菩薩だろう。
屋根には紋章が濃やかに彫られ、下の方には「湯殿山 羽黒山 百番組」、側面には 「四国八十八ケ所」などの文字がきざまれ、出羽三山と四国霊場の巡拝塔であることがわかる。
修験道と仏教との聖地巡拝の記念と、巡拝に行けなかったひとも塔をおがめば巡拝したのとおなじ利益を得られることをねがったものだろう。
下名栗浅海道 熊野神社(洞雲寺裏山)
下名栗浅海道 洞雲寺
下名栗湯基 三照稲荷神社
参道の文字塔
民家の庭先を通らせていただき、
おそわったとおり犬に吠えたてら
れながら畑のなかの道を行くと、
階段の上り口にある。「為男候行
者」と読めるがそのしたは苔にか
くれて読むことができない。文字の
書体は社にある「南無妙法連華
経」に似ている。
南無妙法蓮華経塔
六面のそれぞれの面に「南無妙法
蓮華経」の文字がきざまれている。
お稲荷さんの境内に、どうして日蓮
宗の題目がほられた石塔があるの
だろうか。
民家の庭先を通らせていただき、
おそわったとおり犬に吠えたてら
れながら畑のなかの道を行くと、
階段の上り口にある。「為男候行
者」と読めるがそのしたは苔にか
くれて読むことができない。文字の
書体は社にある「南無妙法連華
経」に似ている。
南無妙法蓮華経塔
六面のそれぞれの面に「南無妙法
蓮華経」の文字がきざまれている。
お稲荷さんの境内に、どうして日蓮
宗の題目がほられた石塔があるの
だろうか。
2010年1月16日土曜日
下名栗皿方 願王寺跡
2010年1月15日金曜日
2010年1月14日木曜日
上名栗山伏峠下
馬頭観音(明和7(1770))
峠から下る旧道は沢崩れで道がとぎれたところがあり、道をまちがえていないか不安だったが、なんとか辿りつく。
馬頭観音アップ
顔は円空の力強いタッチと九州臼杵の磨崖仏の気品を漂わせている。
撮影を終えての帰り道、とつぜん背後でカーンという乾いた音がひびいてきた。馬頭観音が久々に訪れた人間に話しかけたかったのだろうか? それとも、杉の枯れ枝が幹にあたった音だろうか?
渓流の夜の音を聞いて悟りを得たという、宋の詩人であり勝れた修行者でもあった蘇しょくの体験もこのようだったのだろう。「居士の悟道するか、山水の悟道するか。」
「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり。」という正法眼蔵の文章も思い起こされる。
得がたい体験をすることができ、感謝、感謝!
峠から下る旧道は沢崩れで道がとぎれたところがあり、道をまちがえていないか不安だったが、なんとか辿りつく。
馬頭観音アップ
顔は円空の力強いタッチと九州臼杵の磨崖仏の気品を漂わせている。
撮影を終えての帰り道、とつぜん背後でカーンという乾いた音がひびいてきた。馬頭観音が久々に訪れた人間に話しかけたかったのだろうか? それとも、杉の枯れ枝が幹にあたった音だろうか?
渓流の夜の音を聞いて悟りを得たという、宋の詩人であり勝れた修行者でもあった蘇しょくの体験もこのようだったのだろう。「居士の悟道するか、山水の悟道するか。」
「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり。有時なるによりて吾有時なり。」という正法眼蔵の文章も思い起こされる。
得がたい体験をすることができ、感謝、感謝!
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