2010年2月25日木曜日

上名栗穴沢

日恵権現(昭和11)

日恵権現は「名主を継いでいた古屋敷の先祖で行者」だった
ひとをまつったもの。地蔵菩薩も昭和年代の造立。

上名栗穴沢

阿弥陀如来

足元には馬頭観音や聖観音など4躰の舟形石仏がまとめら
れている。石仏群は天目指峠へとつうじる道の上側にあり、
その下には入間川へと流れ込む川が岸を削っている。
 いずれも明治43年の水害で流れついたものを集めたものだ
という。

上名栗柏木(切通し) 柏林寺

地蔵菩薩(元文3(1738))

寺は街道から切り通しを登ったところにある。石仏は手前の切
り通しの途中と頂上にまつられている。
















弁才天と供養塔

上名栗櫃沢(山王橋きわ)

庚申塔

青面金剛像は猿とみまちがえるんほどかわいらしく小さい。
3猿ではなく2猿だけがほられている。脇侍をしたがえた弥
陀三尊像と見まちがえそうな像だ。造立年代は不明だが、
3猿形式にうつるまえの原初にちかいかたちだろうか。
川にかかる橋は山王橋とよばれるが、かつて山王様・日枝
神社があった。そしてその使いとされる猿が庚申塔にきざま
れることになったのだろうか。庚申信仰とはべつに日枝神社
ゆかりの猿が庚申塔に置かれるようになったいきさつをかた
る重要な塔なのかも・・・

飯能・入間市内にある庚申塔のなかで、2猿なのはわたしの
みるところこの1基だけ。
また主尊はその姿かたちのおだやかさから判断すると地蔵
菩薩にも見えないこともない。


三界万霊塔(等)と廻国塔(元文6(1740))

庚申塔からわずかに下ったところに祀られている。

上名栗森ヶ原 浅見氏宅

木造阿弥陀如来・十一面観音・薬師如来

ひつ沢の庚申塔をたずねて農作業中の方に声をおかけしたとこ
ろ、「うちにも十一面観音があるよ」とおしえられ、石仏ではな
いがせっかくなのでありがたく祠の鍵をあけていただく。十一
面観音立像は江戸前期、阿弥陀如来坐像は江戸中期のもの
としてそれぞれ市の文化財に指定されている。
浅見氏のおなじ墓地内に元文2年と銘の
ある石仏がある。左手に蓮華をもってい
るようにもみえ、それがあたっているなら
聖観音か?



上名栗森ケ原 医王寺

地蔵菩薩(寛保3(1743))

上名栗秋津 圓正寺

地蔵菩薩(弘化2(1845))
右は法華供養塔(弘化4)。
ほかに文字塔の念仏供養塔(延享4)と庚申塔もある。

上名栗中指

地蔵菩薩(天明8(1787))
地名に指(さし)がついていることから、このあたりはかつては入間川の河岸段丘を焼畑として営んでいたとおもわれる。

上名栗鳥居

法華千部塔
右:弘化4(1847) 左:文化2(1805)
















弘化4年の法華千部塔アップ

上名栗原

不動明王

上名栗鍛治屋橋峠入口

馬頭観音(安永6(1777))

上名栗平

地蔵菩薩
左は水子地蔵。写真には出ていないが、右端には文字塔の馬頭観音もまつられている。

2010年2月23日火曜日

上名栗宮の平

地蔵菩薩

上名栗八幡

馬頭観音(弘化3(1846))

上名栗小出 大野氏宅

地蔵菩薩2躰(左端:寛政4(1792))と馬頭観音

名栗川を見下ろす木立に、川を背にして立っている。

上名栗竹ノ内

地蔵菩薩(安永5(1776))

上名栗稲村

六面幢
道路から小高い平地には、木造の薬師如来と十二神将が祠にまつられ、湧水らしい泉もある。六地蔵はその手前の方にまつられている。ささやかな小宇宙といった趣。

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